大鳥居駅に、鳥居はない 〜羽田空港の下に消えた、三つの町を歩く〜

大鳥居 街歩き
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羽田空港へ向かう電車の途中に、大鳥居という駅がある。けれど、駅を出ても鳥居はない。

今の空港のあたりには、かつて三つの町があった。羽田鈴木町、羽田穴守町、羽田江戸見町。昭和20年9月、そこに住んでいた3000人あまりの人たちは、48時間のうちに町を出なければならなかった。

大鳥居駅から空港のほうへ、一日歩いてみた。歩いてみると、羽田には、物はなくなって名前だけが残ったものがいくつもあった。鳥居のない駅、碑だけが残った渡し、シラウオのいない稲荷、地図から消えた町。そして、町のあとにただひとつ残った、赤い大鳥居。

動画もあります、こちらからどうぞ。ナレーションと一緒に、羽田の町を歩いています。

大鳥居駅 〜鳥居のない駅〜

大鳥居駅

朝7時ごろ、京急空港線の大鳥居駅で降りた。空港へ向かう電車は、この手前から地面の下にもぐっていく。

鳥居のない交差点

地上に出ると、環八と産業道路が交わる大きな交差点だった。鳥居を探して見回してみる。赤いものといえば、信号くらいだ。

駅の名前は、近くに大きな鳥居があったことから付いたと言われている。穴守稲荷神社の鳥居だったそうだ。その鳥居は、もうない。名前だけが、駅に残っている。

羽田神社 〜空港も、氏子の区域〜

羽田神社

産業道路を少し南へ歩くと、羽田神社がある。羽田の町全体を守ってきた氏神さまだ。空港も、この神社の氏子の区域に入っているらしい。

飛行機の絵馬

絵馬には、日の丸と富士山の上を飛ぶ飛行機が描かれていた。空港の町の神社らしい。

羽田富士

境内の奥には、羽田富士と呼ばれる小さな山がある。富士塚だ。ここに登れば、本物の富士山に登ったのと同じご利益がある。昔の人は、そう考えていたらしい。

羽田という地名は、空港よりずっと古い。由来には、海から見た土地の形が鳥の羽を広げたように見えたから、という説などがあるが、どれが本当かは分かっていない。それにしても「羽の田んぼ」。空港の名前としては、できすぎている気もする。

赤レンガの堤防 〜川を防いだ壁が、町の中に〜

大師橋と多摩川

神社を出て川のほうへ歩くと、多摩川にかかる大師橋のたもとに出た。向こう岸は川崎だ。今の大師橋は、平成3年にできた2代目になる。

赤レンガの堤防

川に沿って下流へ歩くと、道の脇に低いレンガの壁が続いていた。羽田旧レンガ堤だ。

羽田は、多摩川の河口の砂地にできた町だ。記録に残るだけでも60回を超える大水があったという。このレンガの堤防は、大正から昭和のはじめにかけての多摩川の工事で造られ、昭和8年に完成した。当時は、この壁のすぐ向こうが川だった。

堤防ができてからは、大きな水の被害はなくなったという。空襲のときには、壁の外側が火を避ける場所にもなったそうだ。今は、さらに川側に新しい堤防ができて、レンガの壁は町の中に立っている。

羽田の渡し 〜橋ができて、碑だけが残った〜

羽田の渡しの碑

高速道路の高架のすぐ脇に、小さな石碑があった。「羽田の渡し」と刻まれている。

大師橋ができる前、ここには渡し船があった。対岸の川崎大師へお参りする人たちが、たくさん乗ったという。地元では「六左衛門(ろくぜいもん)の渡し」とも呼ばれていたらしい。

渡しは、昭和14年、最初の大師橋ができて役目を終えた。あのレンガの壁が、まだ堤防として川に面していたころの話だ。今は、名前だけが、この碑に残っている。

漁師町の路地 〜シラウオの名前が残る稲荷〜

漁師町の路地

碑のところから町の中へ入ると、細い路地が続いていた。このあたりは、昔から漁師の町だった。江戸のころは、とれた魚を江戸城へ納める限られた浦のひとつで、そのかわりに漁の特権を認められていたそうだ。

路地のお稲荷さん

路地のあちこちに、小さなお稲荷さんが祀られている。

白魚稲荷神社

そのひとつが、白魚稲荷神社だ。シラウオは、かつて多摩川の河口でとれた名物だった。漁師たちはシラウオがとれると、まずこの社に供えたと伝わる。それで、白魚稲荷と呼ばれるようになったという。

昭和38年の春、港の整備や海の埋め立てにともなって、この沿岸の漁は終わった。シラウオの名前は、社に残った。

釣り船

川のほうへ戻ると、今も釣り船がつながれていて、船宿の看板も出ていた。海の町の暮らしは、少し形を変えて続いているようだ。

五十間鼻の無縁仏堂 〜河口に流れ着いた人たち〜

五十間鼻の無縁仏堂

多摩川と海老取川が合わさるところに、細長く川へ突き出した場所がある。五十間鼻(ごじゅっけんばな)だ。洪水から岸を守るために石を敷きつめた護岸で、長さが五十間、90メートルほどあったことが名前の由来らしい。

その先に、小さなお堂が立っている。無縁仏堂だ。身元の分からないまま、この河口に流れ着いた人たちを祀っていると伝わる。関東大震災のとき、そして昭和20年3月の東京大空襲のとき、そうした人がとりわけ多かったそうだ。

はじめは、川の中に塔婆が一本立っているだけだったという。地元の漁業組合の人がそれを守り、お盆には供養をしてきた。今のお堂は、護岸の工事にあわせてここへ移されたもので、元日には初日の出とともに供養が続けられてきたと伝わる。

海老取川の向こうに、赤い大きな鳥居が見えていた。

海老取川の向こう 〜赤い大鳥居は、駅名の鳥居ではなかった〜

弁天橋から見た大鳥居

海老取川にかかる弁天橋を渡る。この細い川が、羽田の町と空港との境目になっている。渡った先に、さっきの赤い鳥居が立っていた。

鳥居の手前に、古い木の柱が一本立っている。「羽田 鈴木弥五右衛門」と書かれていた。江戸時代の後期に、このあたりの干潟を新田に開いた人だそうだ。開かれた土地は「鈴木新田」と呼ばれた。のちの羽田鈴木町の「鈴木」は、この人の名前につながっている。

大鳥居

この鳥居が、大鳥居駅の名前のもとになったのかと思ったが、そうではないらしい。駅の名前になったのは、神社へ向かう道の入り口に立っていた鳥居。こちらは、神社の参道に建っていた大鳥居で、昭和4年に建てられたと伝わる。

鳥居の額には「平和」と書かれている。ここへ移されたあとに、かけ替えられたものだという。

天空橋の碑 〜三つの町の名前〜

旧三町顕彰の碑

すぐ近くの天空橋駅前に、新しい碑が立っていた。旧三町顕彰の碑だ。かつてこの先にあった三つの町、羽田鈴木町・羽田穴守町・羽田江戸見町の名前が刻まれている。

三つの町は、江戸時代の後期に干潟を開いてできた土地だった。町の名前が付いたのは、昭和7年のことだ。

昔の町の地図

足もとのタイルには、昭和11年ごろの空からの写真をもとにした町の地図が描かれている。田んぼや畑のあいだに、家が並んでいる。弁天橋も、五十間鼻も、ちゃんと写っていた。さっき歩いてきた場所だ。

解説板によると、町には海水浴場や競馬場まであったそうだ。戦前は、東京近郊の行楽地としてにぎわっていたらしい。

48時間の立ち退き 〜昭和20年9月21日〜

空港の草地

昭和6年、町のすぐ北に東京飛行場が開かれた。今の羽田空港のはじまりだ。戦争の時代になると飛行場は広げられ、町の運動場や競馬場はなくなっていった。昭和20年の4月には羽田にも大きな空襲があり、三つの町の大部分は、このとき焼けてしまったそうだ。

そして、昭和20年9月21日。終戦から、ひと月あまりのことだ。

連合国軍は飛行場を広げるため、海老取川より東に住む人たちに立ち退きを命じた。3000人あまりの人たちが、48時間のうちに町を出なければならなかった。 ほとんどの人は、口で伝えられただけだったという。

解説板には、弁天橋を渡って町を出ていく人たちの絵が載っていた。さっき渡ってきた、あの橋だ。

残っていた建物は、すべて取り壊された。神社の社殿や狐の像は、飛行場の土台として地面の下に埋められたという。

残された大鳥居 〜空港の駐車場に、50年あまり〜

ただ、あの大鳥居だけが残された。町のことを伝える、ただひとつのものになった。

鳥居はその後も、空港の駐車場の片隅に立ち続けた。元の住民の人たちにとっては、心のふるさとだったそうだ。空港を沖へ広げる工事で、一度は取り壊されることになった。けれど、残してほしいという声が強まり、平成11年2月、今の場所へ移された。

きみといたふるさとの匂い

天空橋の碑には、こんな言葉が刻まれている。

「きみといたふるさとの匂い」

穴守稲荷神社 〜穴から田畑を守るお稲荷さん〜

穴守稲荷神社

町のほうへ戻ると、住宅街の中に穴守稲荷神社があった。もとは、あの大鳥居の先、今の空港の中にあった神社だ。

はじまりは、江戸時代の後期。鈴木弥五右衛門たちが干潟を新田に開いていたころのことだ。荒い波で堤防に大きな穴があき、海の水が入り込みそうになった。村の人たちは堤防の上に小さな祠を建てて、お稲荷さんを祀った。波があけた穴から田畑を守る。それで、穴守と呼ばれるようになったそうだ。

明治の半ばには、近くで鉱泉が湧いた。宿や料理屋が並び、お参りの人でにぎわったという。その人たちを運ぶために、明治35年、電車が引かれた。今の京急空港線のはじまりだ。空港へ向かう線路は、もとは、お稲荷さんへ向かう線路だった。

立ち退きのあと、神社はこの場所へ移ってきた。昭和23年のことだ。

千本鳥居

境内の奥には、朱色の鳥居が細い道のように続いている。

奥の宮

その先の奥の宮には、砂が置かれていた。持ち帰ってまくと、福を招くと言われているそうだ。

穴守稲荷駅 〜神社を追いかけた駅の名前〜

穴守稲荷駅

最後に、穴守稲荷駅まで歩いた。大鳥居駅の手前で地下にもぐった電車は、この駅でいったん地上に顔を出し、また空港へ向かって地面の下へ入っていく。

この駅は、昔は「稲荷橋」という名前だった。神社が近くへ移ってきたあと、昭和31年に今の名前に変わったそうだ。

鳥居のない、大鳥居駅。
碑だけが残った、羽田の渡し。
社に名前を残した、シラウオ。
地図から消えた、三つの町。
そして、神社を追いかけるように名前を変えた、穴守稲荷駅。

羽田の名前たちは、町と一緒に、少しずつ場所を移してきたのかもしれない。この線路の先に、かつて町があった。今日もたくさんの人が、そこから旅立っていく。

今回歩いたルート

大鳥居駅 → 羽田神社・羽田富士 → 大師橋 → 羽田旧レンガ堤 → 羽田の渡しの碑 → 漁師町の路地・白魚稲荷神社 → 五十間鼻の無縁仏堂 → 弁天橋 → 大鳥居 → 天空橋駅前 旧三町顕彰の碑 → 穴守稲荷神社(千本鳥居・奥の宮)→ 穴守稲荷駅

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