蛇口をひねれば、水が出る。
私たちが当たり前にしているそのことの、ずっと手前に、すり鉢のような井戸を掘り、家を売ってまで水路を引いた人たちがいました。
今回歩いたのは、東京都羽村市。江戸の人々の暮らしを支えた水道「玉川上水」が始まった町です。看板は大きな歴史ですが、訪ねたのは、その足もとにある小さな祈りの跡でした。
この記事の散歩は、動画でも公開しています。文章では伝えきれない、境内の静けさや、堰を流れる水の音は、ぜひ動画でどうぞ。
すり鉢の底へ降りる井戸 〜五ノ神社・まいまいず井戸〜

羽村駅から歩いて数分。五ノ神社の境内に、すり鉢のような大きな窪みがあります。「まいまいず井戸」。まいまいとは、かたつむりのこと。底へ向かって螺旋を描く小道の形が、その名の由来です。
このあたりは武蔵野台地の西端。雨水が地下深くまで落ちてしまい、まっすぐ井戸を掘っても水に届きませんでした。そこで人々は、地面ごとすり鉢状に掘り下げ、低くなった底からあらためて井戸を掘った。水を得る、ただそれだけのために重ねられた工夫の形です。昭和の半ばまで、本当にここで使われていたといいます。
流木で彫られた仏 〜宗禅寺・薬師堂〜

多摩川のほうへ下ると、宗禅寺があります。境内の薬師堂は、別名「一本木堂」。
四百年以上前の大洪水で、流された人々が一本の欅の木にすがりつき、そのまま濁流に消えました。やがて水が引いたあと、その欅だけが岸に流れ着いていた。残された人々は、その木から薬師如来を彫り、お堂を建てて弔ったと伝えられています。水に命を奪われた人を、その水が運んだ木で、仏にして弔う。せつなくて、どこかあたたかい話です。
水を鎮める社、敵を弔う心 〜武蔵阿蘇神社〜

多摩川のほとりの鎮守の杜、武蔵阿蘇神社。あばれる水を鎮めるために建てられたと伝わる、水の神の社です。
ここには平将門が社殿を造営し、その将門を討った藤原秀郷が、討った相手の霊を鎮めるために社殿を修復した、という言い伝えが残ります。敵を討って終わりではなく、その魂に手を合わせる。境内の大きな椎の木は、その秀郷が植えたものとも伝えられています。
江戸の水の出発点 〜羽村取水堰と玉川兄弟〜

そして、この旅の主役。羽村取水堰は、玉川上水の出発点です。
江戸の深刻な水不足を救うため、多摩川の水を四十三キロ先の四谷まで引く。ポンプも電気もない時代に、土地のわずかな傾きだけを頼りにした大工事でした。これを請け負った庄右衛門・清右衛門の兄弟は、資金が尽きると自分たちの家屋敷まで売って工事を続けたと伝わります。やがて水は見事に流れ、二人は「玉川」の姓を許されました。

役目を終えた道 〜羽村山口軽便鉄道の跡〜

最後に、水の話の「その後」を。取水堰から東へのびる細い遊歩道は、かつて鉄道が走っていた跡です。
大正から昭和にかけて、増えつづける東京の水をためる貯水池(多摩湖・狭山湖)を造るため、その砂利を運んだのがこの軽便鉄道でした。江戸時代は人の手で水を引き、近代は機械の力で水をためた。役目を終えた線路の跡を、いまは人々がのんびり歩いています。

歩いてみて
水は恵みであり、ときにおそろしいものでもある。その水と折り合いをつけながら、祈り、工夫して生きてきた人たちの足あとが、古い井戸や石仏や堰の流れのなかに、静かに残っていました。
歩いた風景は、動画にまとめています。30分ほど、のんびりとした散歩の記録です。ぜひご覧ください。

