動画では話さなかった、行田の石仏たちのこと【清善寺こぼれ話】

石仏めぐり
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埼玉県行田市を歩いた動画を公開しました。

のぼうの城として知られる忍城の戦いのその後、敵も味方も区別せず弔うために寺を建てた武将・正木丹波守のこと、そして戦の記憶が薄れたころに庶民が建てた庚申塔のこと。ゆっくり歩きながら話しています。よかったらご覧ください。

動画の軸にしたのは、「名もない人たちの、ささやかな祈りの石」です。雑兵、足軽、農民、町人。歴史に名を残さなかった人たちが、自分たちのために建てた石。そこに心を込めました。

ただ、行田を歩いていると、「由来のはっきりした、立派な話」にもいくつか出会いました。動画には入れませんでしたが、これはこれで面白いなと。今日はその、こぼれ話を書いてみようと思います。最後はちゃんと、いつもの石仏に帰ってきます。

木に飲み込まれた青面金剛

清善寺(せいぜんじ)。曹洞宗のお寺で、創建は永享十二年、一四四〇年。忍城を築いた成田氏ゆかりの寺です。

山門をくぐって参道を進むと、不思議な光景に出会います。大きな木の幹に、石仏が挟まれるように立っているんです。六本の腕を持つ、いかめしい姿。庚申塔の青面金剛(しょうめんこんごう)です。

足もとは土に埋もれていて、年号は確かめられませんでした。でも、すぐそばのもう一体には「正徳」の文字が読めます。正徳といえば一七一五年前後。忍城の戦いから百二十年あまり、戦の記憶も薄れたころに、この町の人たちが自分たちのために建てた石です。

木に飲み込まれながら、それでも、ここにある。切られてしまった大木、いつかは枯れ朽ちたとても。

この一体が、今回いちばん心に残った石仏でした。

入口の灯籠に刻まれた「新兵衛地蔵」

石仏とは少し話が離れますが、清善寺の入口には、「新兵衛地蔵尊(しんべえじぞうそん)」と刻まれた石灯籠が立っています。

この「新兵衛」というのが、調べてみると、ちょっと意外な人につながっていました。

行田市出身に、大澤龍次郎(おおさわ・りゅうじろう)という実業家がいます。一八八七年生まれ。呉服商の番頭だった父・大澤新兵衛のもとに育ち、東京で証券業の道に入って、やがて大澤証券という会社を興しました。この会社は、今のSBI証券の前身にあたります。

その龍次郎が、昭和六年。世界恐慌で日本中が不景気にあえいでいたころ、清善寺に無縁仏を整備する事業を提案しました。職を失った人たちの仕事をつくる、失業対策を兼ねていたといいます。そうして無縁塔を建て、翌年の五月八日、その頂きに地蔵尊を安置しました。

これが「新兵衛地蔵」です。亡き父の名を継いだ地蔵で、地蔵が手にする宝珠の中には、父が持っていた仏像が納められているそうです。

不景気のなかで、人を働かせ、無縁の死者を弔い、そこに父の供養を重ねる。立派な話だと思います。ただ、これは「名もない人の石」とは少し違う。名前も、由来も、はっきり残っている石です。だから動画には入れませんでした。でも、こうして書いておきたくなる、いい話ではあります。

ちなみに地蔵を安置したのが五月八日。これは高源寺で毎年行われている、忍城水攻め戦没者の供養祭と同じ日付なんです。行田の五月八日には、何か祈りが重なっているのかもしれません。

塔の上の新兵衛地蔵そのものは、今回うまく撮れませんでした。いつかちゃんと、仰ぎ見て撮ってきたいと思っています。

波間に現れる観音さま

清善寺の本堂の前には、もう一つ、目を引く像があります。一葉観音(いちようかんのん)。ブロンズ製の、新しい観音さまです。

一枚の葉に乗って、水の上を渡っている姿で造られます。これには由来があって、曹洞宗を開いた道元が、修行先の中国から日本へ帰る船の上での話だそうです。

海が荒れて、船が遭難しかけた。道元が観音経を唱えると、波間に観音さまが現れて、波が静まった——その観音が、一枚の葉に乗っていたと伝わります。だから一葉観音。水難除けの仏さまとして信仰されてきました。

清善寺が曹洞宗のお寺だから、この観音さまがいる。きれいなブロンズで、苔むした庚申塔とはずいぶん雰囲気が違いますが、これはこれで、静かな佇まいの像でした。

戦の水、暮らしの水

もう一つ、石仏ではないけれど、歩いていて考えたこと。

動画では、石田三成が忍城を水攻めにしようとして築いた「石田堤」を歩きました。利根川と荒川の水を引き込んで、城を沈めようとした。結局この水攻めは失敗するんですが。

その同じ行田に、今は「武蔵水路」という水路が通っています。こちらは昭和の時代に造られたもので、利根川の水を東京へ送るための水路です。

四百年前は、戦のために川の水を動かした。今は、都会の暮らしのために川の水を動かしている。同じ土地で、同じ川の水を、人間がずっと引き回している。目的はまるで違うのに、やっていることは似ている。そんなことを、用水路沿いを歩きながらぼんやり考えていました。

それでも、惹かれるのは

新兵衛地蔵も、一葉観音も、立派な像です。由来があって、建てた人の名前が残っていて、ちゃんと語ることができる。

でも、歩き終えてみて、いちばん心に残っているのは、やっぱりあの木に飲み込まれかけた青面金剛でした。誰が彫ったのかも、いつ建てたのかも、足もとが埋もれていてもうわからない。名前も残っていない。それでも、木と一緒に、そこにある。

立派な石も、名もない石も、同じ境内に並んでいる。それを順番に眺めながら歩けるのが、お寺の面白いところだなと思います。

ゆっくりと、また次の石仏に会いに行きます。

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